こんにちは。数年ぶりにコラムを書いてみました。
いつもの手紙に関する記事より
若干、攻撃的(?)な部分もあります。
と言ってもそんなに怖くはないので・・・
お時間あったらぜひ読んでください。
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「怒りの反芻(はんすう)」
先日見たドラマで、新垣結衣さんが「喜びよりも怒りの記憶の方が、頭に残りやすい」的な話をしていたが、本当にその通りだと思う。
楽しいことよりムカつくことの方が心に残っているし、思い出しやすい。そのせいなのか私は『怒りの反芻』をよくやってしまう。
『怒りの反芻』とは、以前怒った記憶をなぜかひっぱりだしてきて、再び怒ることである。牛などが一度食べた物をもう一度ひっぱりだしてきて噛み直すことと同じだ。
具体的には、主に昔は仲良かったけど今はあんまり仲良く無い人(友達、同僚、同級生、男性など)のムカついた行為を思い出しては、またムカつき直すというまったく意味のない行動である。怒りの上書き保存ともいえる。
例えば昔、友人が「○月○日遊ぼう」と誘いのメールを送ってきたので「いいよ」と返信した。すると「さっき別の友達から電話があって、その日はその友達と久しぶりに遊ぶことになりそうなの。今は遠くにいてなかなか会えない友達なの。○○ちゃん(私の事)からの返信遅かったし、その子とは久しぶりに会うから。ごめんね。まだはっきりしてないから、ひょっとしたら遊べるかもしれないけど」的なメールが来た。
とてもびっくりした。
①自分から誘っといて断ってくる
②しかも何気に私の返信が遅かったからそうなった的な話にしている
③「まだはっきりしないから」とか言って、万が一その友達と遊べなくなった時のために私の予定をキープしようとしている。
そもそも遊びとはいえ最初に約束した(声をかけた)人を優先すべきでは?あるいは滅多に会えない友人を優先するのはいいとしても、それは完全に自分の都合なのだから、私の返信がどうとか以前に素直に詫びるべきでは?そして万が一のために人の予定をキープしようとする図々しさ。
これだけでも相当怒っていいと思うのだが、この友人は前々からこういう風に「自分の都合で周りを振り回すタイプの人」だったので、ほとほと愛想が尽きて私はげんなりした。そして静かにその人との友人関係を解消したのだった。
「ああ、あの時は本当にムカついたな。」と怒りを噛みしめて思い出す。これが『怒りの反芻』である。
正直この『怒りの反芻』全然楽しくない。百害あって一利なし。それなのになぜか頻繁にやってしまう。
なぜこんな非生産的な『怒りの反芻』を頻繁にやってしまうのか、以前カウンセリングを受けた時に聞いた話によると「本当はやりたくないが、怒りの刺激を受けて脳を喜ばせるのが快感になっている」らしい。
難しい事はよくわからないが、やりたくないけどついやってしまう悪い癖ということらしい。
確かに体調が悪い時、精神的にネガティブになっている時なんかによくやってしまう。
しかもなぜか私はこの『怒りの反芻』以上に生産性のない『怒りの事前準備』もよくやってしまう。
『怒りの事前準備』とは一体なんなのか?
例えば、新しい職場で仕事をはじめることになったとする。(怒りの事前準備はだいたい仮定の話が多い)するとそこには嫌な感じの女の先輩がいて、仕事は出来ないくせにいろいろと人のことを嗅ぎまわるのだ。
「○○さん(私のこと)は結婚しているの?子供はいるの?彼氏はいるの?」
出会って間もないのに恋愛の話をしたがる人間を私は信用していない。
「私なんてグチグチグチ、最近グチグチグチ、この仕事はグチグチグチ」
そして人の話を聞いているふりして、実は常に自分の愚痴を聞かせたがるのだ。私は愚痴を言いまくる人間が大嫌い。
「あとさ、ここだけの話だけど実はあの人さ・・・」
出た!人の噂大好き人間。マジ興味ないし。私は人の噂ばっかりしている人には近づきたくない。
このままでいるとこの人の「詮索好き、愚痴好き、噂好き」の餌食になってしまう。ああ、ムカつく。怒りが爆発する。
そんなわけで私は死んだ目をしてめっちゃ興味なさそうにこう答えるのだ。
「あ、そうですか」
ウザい奴には無関心が一番の撃退法なのだ。
と、ここまですべて想像です。
『怒りの事前準備』とはまだ起こってもいないムカつく出来事を、勝手に想像しては先に怒っておいて「こうやって対応してやろう」と勝手に爪を研いでおくことである。
自分でもなぜそんなことをするのか意味が分からない。こうしておけば不意にムカつくことが起きても対処できるからいい面もあるのでは?とポジティブに考えることも出来るかもしれないが、実際事前準備していたことの99%は現実に起きない。
ただただ不必要なムカつきを感じるだけである。わかっているのにやめられないそれが『怒りの事前準備』
『怒りの反芻』といい『怒りの事前準備』 といい、どうも私は『怒り』に対しての執念がすごいらしい。
どうしてそうなったのか?考えてみると、そもそも怒ることが下手なのかな。と思う。
特に幼少から10代の多感な頃に、周りの家族や友人に不愉快なことをされても上手く怒れなかった。
例えば同級生にからかわれたり、バカにされたりしても上手く対応できなくて、悔し泣きをしたことも記憶にある。どこかのんびりしていて、間が抜けていたのだろうか?
そんな自分が悔しくて大人になるにつれてその反動で「怒るべき時に、直ちに怒る!」ことに必要以上にこだわってしまうようになったのかもしれない。怒りに貪欲になってしまったのかもしれない。
純粋だった幼き日の私・・・さよなら。
それはともかく、あまり怒りすぎても疲れてしまうので気をつけよう。ただ怒るべき時にほどよく怒るのはストレス解消にもなる(気がする)ので、これからもほどほどに怒るようにしたい。
そのための勉強材料として『怒りの反芻』と『怒りの事前準備』もたまにならいいかなと思う。たまになら。
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